4.細胞内カルシウム濃度の維持(図3) 1)流入機構 前節までに説明した通り、細胞には外からCa2+を流入させる装置が多種類備わっている。電位依存性Caチャネルはその第一である。構造的にはかなり大きな(分子量約20万)膜蛋白質で、生理学的性質からは一過性( transient = T型)、持続性( long-lasting = L型)、中間性( non-T non-L = N型 )の3つに分類される。 いずれの型も、Ca2+のほかBa2+やSr2+を通すが、同じアルカリ土類金属イオンでもBe2+やMg2+の透過性は低い。Zn2+やMu2+、Cd2+などの遷移金属イオンはほとんど透過せず、むしろ阻害剤になる。
伝達物質依存イオンチャネル(イオン透過性受容体と呼んでも同じ)は、第二のCa2+流入路である。分子量5万〜15万程度の膜蛋白質が4〜5個集まって、その中央にCa2+を通す孔ができる。 ■・項目に戻る
2)排出機構 3−3)で説明したように、流入したCa2+は急いで排出しないと毒になってしまう。したがって細胞には何通りもの排出機構が備わっている。 主として小胞体と呼ばれる細胞内部の袋状構造の膜にあり、エネルギーを大量に使ってCa2+を汲み上げているのは、Caポンプ(Ca2+/Mg2+ - ATPアーゼ)と呼ばれる酵素である。Caポンプの一部は細胞膜にあって細胞外にCa2+を汲み出している。おおざっぱにいって細胞質のCa2+濃度が10−6M以上になると働き出す。 細胞内外にあらかじめつくられているNa+の濃度勾配を利用して、ホテルの玄関の回転ドアーのようにして、Na+を流入させると同時にCa2+を細胞外に追い出すのは、Ca2+/Na+対向輸送体である。Ca2+濃度が10−7M以上になると働き出し、細胞質内のCa2+濃度を通常時10−7M以下に保っている主役である。この分子は、それ自身の機能にはエネルギーを必要としない。しかし、前提となるNa+の濃度勾配をつくるのにNaポンプという細胞膜上のエネルギー要求性の酵素が働いていなくてはならないから、間接的にはやはりエネルギー要求性があるといえる。 神経細胞の細胞質には、Ca2+と強く結合する蛋白質が大量にあって、いわばCa2+のスポンジとして働いている。例えば海馬や小脳の一部の神経細胞には、カルバインデインという蛋白質が多量に含まれていて、その名の通りカルシウムをバインドする。ただし、結合するだけではいずれ飽和してしまうから、最終的に細胞外に排出するには上に述べたCaポンプやCa2+/Na+対向輸送体が働かなくてはならない。 ■・項目に戻る
3)細胞内カルシウム貯蔵機構 前節で、Caポンプは細胞内部の小胞体にCa2+を汲み上げると説明した。このCa2+は、一部はやがて細胞外に捨てられるが、一部は小胞体に包まれたまま細胞内に貯蔵される。骨格筋ではこのようなCa2+貯蔵装置が筋細胞の外周近くを規則正しく包んでいるが、神経細胞では小胞状になって細胞質にほぼ均一に散在しており、カルシウム貯蔵小胞と呼ばれている。貯蔵小胞はある条件の下で貯蔵していたCa2+を細胞質に放出し、Ca2+濃度上昇を引き起こす。 カルシウム貯蔵小胞には2種類ある。 もう一つの貯蔵小胞は、Ca2+誘発カルシウム放出小胞(CICR)と呼ばれるもので、何らかの原因で小胞周囲のCa2+濃度が高まったときにCa2+を放出する。放出されたCa2+自体が小胞周囲のCa2+濃度を高めるから、貯蔵分を全部吐き出すまでCICRは止まらない。これは前節で説明した細胞外からのCa2+流入によるCa2+濃度上昇やIICRによるCa2+濃度上昇を増幅する機構として働くと考えられる。 IICRにしてもCICRにしても、放出されたCa2+の大部分は再び貯蔵小胞内に回収される。もし回収後もまだイノシトール三リン酸などの放出誘発シグナルの供給が続いていたならば、再び放出が起こる。細胞内Ca2+濃度を蛍光顕微鏡などで実測していると、Ca2+濃度が高くなったり低くなったり振動している場面にしばしば遭遇する。神経系ではアストログリア細胞でこのような現象が典型的にみられる。ただし、そのCa2+振動をアストログリア細胞がどんな活動に結びつけているのかは、現時点では必ずしも明らかではない。 Ca2+依存性の活動を持続的に行う必要があり、かつCa2+濃度が長時間高いままだと細胞に毒だとしたら、賢い解決法はときどきCa2+濃度が高くなるような状況を長時間持続することだろう。Ca2+振動はこれにかなり合目的な細胞活動である。 ■・項目に戻る
5.生理機能を担うカルシウム依存性分子装置(図4) 【図4】細胞内Ca2+濃度の上昇によって活性化される機能性蛋白質 Ca2+によって機能調節を受ける蛋白質は膨大な数に上るが、本文にもあげた代表的なものを選んで記した。
1)カルモジュリン カルモジュリンは、細胞内Ca2+濃度の上昇を細胞の生理的活動に結びつける広用途な蛋白質として、あらゆる種類の細胞に存在するが、神経細胞にもある。というより、カルモジュリンは最初、環状AMP分解酵素(PDE)の調節分子として脳から精製された経緯があるほど神経系に豊富な蛋白質である。環状AMPとは、細胞のエネルギー通貨であるATPの構造をわずかに変えて情報伝達シグナルとして流用される分子である。シグナルは、事態に応じて出されたり消されたりしてこそ意味があり、PDEはその消す方をつかさどる重要な酵素である。 カルモジュリンは、EF−handモチーフと呼ばれる、10-6M程度の親和性でCa2+と結合する部分を分子内に4カ所もっており、ここにCa2+が結合すると蛋白質全体の構造が大きく変わる。Ca2+と結合した形のカルモジュリンは、目的の酵素なり構造蛋白質に結合することができ、結合相手の蛋白質の活性が変わる。 面白いことに、Ca2+結合型カルモジュリンによって活性化される酵素の中に、4−2)で述べたCaポンプがある。つまりCa2+は、細胞内に流入してさまざまな分子装置のスイッチを入れたり切ったりしたあと、自分を排出する装置のスイッチも入れて、みずから退場するのである。 ■・項目に戻る
2)カルシウム依存性キナーゼ Ca2+結合型カルモジュリンが活性化する酵素の中には、蛋白質をリン酸化する酵素(蛋白キナーゼ)もある。 このCa2+/カルモジュリン依存性蛋白キナーゼ(CaMK)には注目すべき性質がある。それはリン酸化する相手蛋白質に自分自身も含むことである。CaMKがCaMKをリン酸化すると、それ以降は酵素活性の維持にCa2+もカルモジュリンも必要としない、恒常的活性化状態に入る。前節で述べたカルモジュリンのスイッチ機能は、Ca2+濃度が下がればオフになるのに対して、このキナーゼのスイッチ機能は、Ca2+濃度の上昇でオンしたあと、下がってもオフにならない、その分だけ持続の長いスイッチである。オフにするには次節に述べる脱リン酸化酵素が必要になる。 なお、蛋白キナーゼにはCaMK以外にも多種類ある。そのうちの一つ、PKCと略称されるキナーゼも活性化にCa2+を必要とする(Ca2+のほかに、カルモジュリンは必要でないかわり、ジアシルグリセロールという細胞膜の脂質成分を必要とする。) ■・項目に戻る
3)カルシウム依存性蛋白ホスファターゼ キナーゼと反対にリン酸を切り離す酵素をホスファターゼという。Ca2+を結合したカルモジュリンは、キナーゼばかりでなく、ホスファターゼも活性化することがあるからややこしい。近年、臓器移植の成功率を飛躍的に高めるのに大貢献している免疫抑制剤が、この蛋白脱リン酸化酵素を阻害することで免疫抑制効果を発揮していることがわかって以来、免疫系の蛋白ホスファターゼの研究が盛んであるが、この酵素も最初にみつかったのは脳組織で、カルシニューリンと命名された。 カルシニューリンに関して、最近興味深い議論がなされている。3−2)で紹介したシナプスの可塑性には、刺激後にEPSPが大きくなるLTPと、逆に小さくなるLTDとがある。LTP、NMDA受容体を通って流入するCa2+がCaMKを活性化することではじまることはすでに説明した。ところが、一見正反対の現象にえるLTDも、NMDA受容体を通って流入するCa2+によってはじまることがわかってきたのである。 ただし問題は、キナーゼもホスファターゼも、ともにCa2+と結合したカルモジュリンによってスイッチ・オンされるのに、それに要求されるCa2+濃度が異なることを説明しなければならない(ホスファターゼの方が低濃度のCa2+によって活性化されると想定する)点である。これについてはカルモジュリンとキナーゼ、ホスファターゼの親和性の差を想定するなどされているが、現在のところ結論は出ていない。 ■・項目に戻る
4)カルシウム依存性プロテアーゼ Ca2+によって活性化される第三の酵素は、蛋白質分解酵素(プロテアーゼ)である。これは、3−4)で細胞を自己消化する酵素として触れた。細胞にはいわば自殺のための装置があらかじめ備わっていて、不要な細胞の除去は正常な発生や生体の維持のために用いているという見方が近年急速に広まってきたが、この酵素もそうした『非常用』の自殺用酵素と考えるこもできる。しかし、むしろ分子スイッチとして細胞が『非常』でない事態にも利用していると考えるべき実験結果も多い。 例えば、蛋白キナーゼの一つPKCは、分子内に酵素活性を担う領域とCa2+やジアシルグリセロールと結合して酵素活性を制御する領域を含んでいる。もし、プロテアーゼがこの2つの領域の間でPKCを切断してしまうと、PKCにはもはやCa2+やジアシルグリセロールによる制御を受けなくなり、持続的に活性をもつようになる。LTPの成立時に、そういうタイプの活性化が起こっている証拠がある。 スイッチといったのは、カルモジュリンがCa2+の高い期間だけオンする短時間スイッチ、蛋白キナーゼがオンはCa2+上昇によるものの自己リン酸化のためにCa2+が下がってもオフにならない中時間スイッチとすると、プロテアーゼはCa2+によってオンされた後、標的蛋白質の活性制御領域を切り離してしまうために二度と(蛋白質自体の寿命がくるまで)オフにならない長時間スイッチとみなせるからである。 ■・項目に戻る
5)カルシウムシグナルの下流 細胞にはスイッチが多数ある、例えば、当の生体反応自体にはCa2+に依存するわけではないが、その反応のスイッチを入れたのは何か、そのスイッチを入れたのは何か、・・・・・と遡っていくと、最後にCa2+に突き当たるというケースはしばしばある。 細胞の最も基本的な性質である蛋白質の生合成もその一つである。蛋白質の合成とは、遺伝子DNAの塩基配列という情報をRNA分子の上に転写して細胞核から送り出し、これを細胞質中でアミノ酸配列に翻訳して蛋白質にする作業であるが、いつ、どのような蛋白質を合成して補給するかは、転写開始をつかさどる分子(転写因子)の活性によって決まる。 LTPは、Ca2+上昇で活性化したCaMKがAMPA受容体をリン酸化して感度を上げることだ、と説明したが、実はこれは刺激後30分程度の範囲での話であって、このあとに新しい蛋白質の合成がないと維持できない相が続く。 あまりにリストが膨大で、現段階では手がつけられない印象すらあるが、この研究分野は『細胞内シグナル学』と呼ばれ、発癌機構の解析で威力を発揮した分子生物学的手法が適用されて、最近もっとも急速な進歩を遂げている分野であり、おそらく今後数年以内に、どれがメインの経路でどれがサブの経路であるかの整理がなされ、全体を眺めて論じることができるようになると思われる。読者諸賢には楽しみにお待ち願いたい。 |