はじめに 妊娠中は母体から胎児へ約30gのカルシウムが移行し、また産褥期は母乳から1日約220mgのカルシウムが喪失することから(*1)、妊婦・産褥期の母体カルシウム代謝に関しては、興味がもたれる。本章では、妊婦・産褥期の母体カルシウム代謝を中心に骨代謝動態の変化について述べる。 ■・項目に戻る
1.妊娠中のカルシウム代謝 妊娠中の血中総カルシウムは漸減傾向を示す(*2)が、これは妊娠中カルシウム結合蛋白が減少する(*3)ためである。ただ、生物学的活性を示すカルシウムイオンは、妊娠後半にやや増加傾向を示す(*4)。 カルシウム調節因子として、PTH、1,25(OH)2D(活性型ビタミンD)、 calcitonin があるが、妊娠中は特に1,25(OH)2Dが中心となりカルシウム代謝をつかさどる。つまり1,25(OH)2Dは腎ばかりでなく胎盤でも産生され、腸管からのカルシウム吸収を促進する。 PTHや骨保護作用を有する calcitonin は、妊娠中には特に大きな変動は示さない(*2)とされている。 妊娠中は胎盤からエストロゲンにより保護された状態にある(図1)。
ただ、福岡ら(*7)は、妊娠中にTL−6などのサイトカインの上昇も認め、妊娠中は高エストロゲン状態にありながら、骨吸収が亢進する可能性を示唆している。高エストロゲン状態での抹消血単球からのサイトカイン発現機構は今後の検討課題といえる。 妊娠中の骨代謝指標の推移はどうであろうか。われわれは、正常妊婦30名、正常褥婦47名を対象とした検討(*6)で、骨形成指標であるALPは、妊娠中期までは対照婦人と変わらないものの、妊娠末期にかけ急激な上昇を認めた。同じくBGPも妊娠中はむしろ低下傾向を示したが、分娩後からの急激な増加を認めた。一方、骨吸収指標として、尿中ハイドロキシプロリン(Hxp)とクレアチニン(Cr)の比(Hxp/Cr)を求めたが、妊娠中は有意差はないものの、妊娠経過とともに漸増傾向を認めた(図2)。
Sekiら(*2)は、血中 intact-osteocalcin (T-OC)は妊娠初期に比べ、末期は高レベルを示したことから、妊娠末期は骨形成が亢進していることを示している。同様に骨吸収指標の尿中 pyridinoline/creatinine 比を測定したら、妊娠初期に比べ、妊娠28週で高値を示し、妊娠後半は骨吸収が亢進していることを示している。 また福岡ら(*7)は、血中 tartrate-resistant acid phosphatase ( TRACP )は妊娠中期より漸増し、妊娠末期で最高値を示したのに対し、血中T-OC値は、妊娠初期から中期にかけ軽度の低下を示したのが、末期では上昇傾向、さらに分娩3カ月後まで高レベルを示したことから、妊娠中の骨代謝は骨吸収が亢進し、骨形成が抑制された状態であるとしている。 さて動物では、妊娠中骨代謝はどのような変化を示すのか。われわれは10週齢のSDラットを用い、妊娠・授乳期の骨量および骨代謝指標の推移について検討したが、妊娠中ラット大腿骨骨量は不変かむしろ増加傾向を認めた。このとき、骨保護作用を有する calcitonin 値が妊娠初期から末期(13週齢)にかけ急上昇を示した(図3)。
同じくSDラットを用いて検討した東條ら(*8)の報告では、ラット腰椎骨骨量は、非妊娠群に比べ分娩直前群が有意に低値であったとしており、妊娠中は骨量減少を認めわれわれとまったく逆の結果であった。ただ東條らは200日齢ラットを用いており、この日齢ラットではわれわれの検討によるとすでに骨量が減少する日齢であり、加齢が妊娠中の骨量推移に影響を及ぼした可能性が考えられる。今後、妊娠時の年齢の相違で、その後の骨量推移に相違が認められるかの検討課題といえる。 妊娠中のカルシウム摂取量の程度でも、その後の骨代謝に影響が現れる。 Gruber (*9)は、ラットを用い、1.0%のカルシウム摂取群は妊娠中骨量減少は認めなかったものの、0.5%のカルシウム摂取群は骨量減少を来し、授乳終了後の骨量回復も認められなかったとしている。 以上より妊娠中のカルシウム・骨代謝動態は、妊娠初期および中期にかけてゆるやかに骨代謝回転が亢進してきており、妊娠末期における胎児カルシウム需要の急激な増大に伴い、骨形成、骨吸収いずれも亢進した高代謝回転状態になり、胎児カルシウム需要に対応すると考えられる。 妊娠中の骨量の推移は、われわれは初期から末期までに至るまではほとんど変化しないと報告している。しかし、特に中期以降の骨量推移についてさまざまな結果が報告されている。この原因として骨量測定の機種、測定骨の部位(海綿骨含有率の相違)、対象婦人の生活習慣、毎日のカルシウム摂取量さらには妊娠時の年齢などが微妙に影響していると思われる。 ■・項目に戻る
2.産褥期のカルシウム・骨代謝動態 産褥期の骨代謝が妊娠中と大きく異なる点は、胎盤晩出に伴いエストロゲンとカルシウム吸収に寄与していたビタミンD濃度が急激に低下し、骨保護作用が低下することである。一方、PTHは妊娠後半から増加しており、産後もしばらくは高値を持続する。このため産褥期はPTHに対するエストロゲンの骨保護作用が消失し、骨吸収が亢進する。 われわれの検討(*6)では、血中カルシウム濃度は、授乳婦が断乳婦に比べ産後1カ月後でやや高い傾向を認めたものの、産後6カ月後まで大きな変動もなく、また、授乳の有無による差も認められなかった。血中ALPは妊娠中から産後にかけていずれも3型(骨由来)が増加していた。またBGPも産後急上昇し、授乳婦、断乳婦いずれも対照群より有意に高値を示したことから、産後は骨形成の亢進した状態といえよう。骨吸収指標である尿中Hxp/Cr比は、授乳婦、断乳婦とも妊娠末期より産後3カ月まで対照群より有意に高値を示し、産後1カ月では授乳婦が断乳婦より有意に高値を示した(図2)。 これは授乳婦、断乳婦いずれも分娩前後より骨吸収亢進状態にあるものの、授乳婦が断乳婦に比し骨吸収がより亢進しているためであると思われる。 以上より産褥期の骨代謝に関する緒因子は、いずれも代謝亢進の傾向を示すと考えられる。すなわち、内分泌学的には授乳婦も断乳婦も骨代謝亢進状態を呈するが、なかでも授乳期には断乳婦に比し骨吸収がやや亢進しているといえよう。 母体血中カルシウム濃度は、、産後正常値を示し、母体尿中カルシウム排泄も産後有意な変化を認めないにもかかわらず、授乳婦の骨量が低下するのは、母乳による持続的なカルシウム喪失によるところが大きい。妊娠中と産褥期のカルシウム摂取量が同じであったと仮定したら、授乳婦の場合1日約220mgのカルシウムが母乳より喪失し(*1)、骨吸収は促進される。これが原因で諸家の報告にもあるように授乳により骨量は減少する。
カルシウム喪失と卵巣機能の回復遅延を考慮したら、長期授乳婦はカルシウム摂取に十分心がける必要があるといえよう。 SDラットを用いたわれわれの検討で、授乳による骨量減少防止目的で、ビタミンDの投与を行ったが、治療により有意に骨量減少を防止できた。このときの骨代謝指標を見ると(図3)、PTHは授乳終了時に授乳のみの群(無治療群)が4.7ng/mlであったのに対し、治療群は0.5ng/ml以下の値を示し有意に無治療群が高値を示した。また、BGPは授乳期間中両群で差はなかったが、授乳終了2週後には治療群が無治療群に比べ有意に高値を示したことから、授乳中の骨量減少予防のための治療は、結果的には骨吸収を抑制し骨形成を刺激すると考えられる。 ■・項目に戻る
3.妊娠・授乳の長期的影響について 授乳により低下した骨量が完全に回復困難であれば、妊娠・授乳を重ねることが、将来の骨粗鬆症の危険因子になりうるが、はたしてどうか。授乳により低下した骨量に関し、報告により細かな回復率は異なるものの、授乳終了後はほとんどの場合骨量は回復する。 ただ、授乳期間さらには授乳期間中のカルシウム摂取量で骨量回復率は若干異なる。さらに日常の食生活と関連し、以前から骨量減少をきたすような基礎疾患を合併している場合などは、骨量回復が望めない可能性も指摘されている(*11)。 われわれの産後2年までの longitudinai study (*12)では、産褥1年が骨量の最低値(産褥5日目から8.28%の骨量減少)を示したが、その後はゆるやかな骨量回復を認めた。しかし産褥2年でも産褥直後の骨量レベルまでの回復は認められず、産褥直後レベルより5.43%の減少であった。このときの対象婦人は、平均9カ月間の授乳期間であり、また産後8カ月で月経再来をみたが、骨量回復率は母乳分泌量や授乳期間、月経再来までの期間、年齢、毎日のカルシウム摂取量さらに基礎疾患の合併の有無などによっても若干の影響を受けると思われる。 疫学調査からも、妊娠・授乳の長期的影響に関して検討(*13,14)されているが、いずれも妊娠・授乳が将来の骨粗鬆症の原因として直接的には関与しないとしている。 われわれの年代別疫学調査においても、30歳代後半や40歳代の婦人は授乳期間に伴い有意に腰椎骨骨量が減少したのに対し、50歳代またはそれ以降の年代では、授乳期間と骨量にまったく相関が認められなかった。妊娠・授乳の影響は数年間は存在するものの、閉経を境とした急激な骨量減少に授乳の影響が相殺され、疫学調査では授乳の骨代謝に及ぼす影響は消失するものと思われる。ただ、詳細については症例を重ね検討中である。 Sowers ら(*15)は20〜40歳で45名の婦人を対象に妊娠・分娩・授乳さらに次の妊娠の骨量に及ぼす影響について prospective study を行っている。これによると分娩後最低6カ月間授乳をし、さらに分娩後18カ月以内に次の妊娠をみた婦人25名を授乳群とし、同様の授乳を行ったものの、次の妊娠には至らなかった20名の対照婦人とで長期的骨量推移の比較を行った。その結果、最終的に両群の骨量に相違はなかったとしている。 妊婦・産褥の骨代謝に及ぼす長期的な影響は消失する可能性が強いといえそうだが、これを満たす条件として Sowers らは以下の3点をあげている(*15)。
以上が満たされた場合、妊婦・産褥は将来の骨粗鬆症の原因にはなりにくいと思われる。ただこれまでの報告は、ほとんどが疫学調査をはじめとする retrospective study である。 prospective study ははじまったばかりであり、妊娠・授乳の骨代謝への影響の解明のためには、今後長期的な prospective study が必要になってくるだろう。 ■・項目に戻る
1)妊婦中 カルシウム・骨代謝は、妊娠初期から中期にかけては、非妊娠と変わらないほどの骨代謝動態を示すが、妊娠中期から末期さらには分娩時にかけ骨形成・骨吸収ともに亢進した高回転型の骨代謝動態を示し、急激な胎児カルシウム需要に対応していると思われる。 ■・項目に戻る
2)産褥期 授乳によるカルシウム喪失がなければ、分娩後しばらくは骨形成優位の代謝動態を示す。また、卵巣機能も早期に回復するため骨量減少は起こりにくく、この時期は努力次第ではむしろ骨量を増加させる絶好の機会となる。 授乳の場合、母乳からのカルシウム喪失と卵巣機能の回復遅延が原因で、一過性ではあるが骨量減少が生じる。授乳による骨量減少が、将来の骨粗鬆症の危険因子と必ずしも断言できないが、明確な結論は得られていないため、長期授乳の場合、骨量減少予防のため日常生活においても、十分なカルシウム摂取に心がけるなどの努力が必要であろう。 ■・項目に戻る
参考文献
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