子癇とカルシウム不足の関係

廣田憲二

日生病院産婦人科




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はじめに
1.妊娠・授乳期におけるカルシウム所要量
1)妊娠期
2)授乳期
2.妊娠・授乳期におけるカルシウム摂取量の現状
3.妊娠・授乳期のカルシウム代謝
4.カルシウム調節ホルモンの動態
5.子  癇
6.カルシウムの作用機構
まとめ
参考文献


はじめに

 胎児の発育に必要な栄養は、母体によってのみ供給され、胎児に30g前後のカルシウムが母体から移行し蓄積される。この移行は妊娠後期に増大し、胎児の骨成長がすすむ。これは母体の栄養状態に関係なく行われる。さらに授乳期では、1日約230mgのカルシウムが乳汁中へ移行する。
このように、妊娠・授乳期を通じて母体では多量のカルシウム消費が起こっている。妊娠、授乳中のカルシウム摂取不足は、母親の骨量減少と妊娠時に起こる高血圧、子癇前症などの妊娠中毒症の原因となり、母親と胎児に影響を及ぼす。
子癇は妊娠、分娩、産褥期に出現する強直性あるいは間代性痙攣と昏睡を主症状とする特殊妊娠中毒症である。妊娠中毒症、子癇とカルシウムとの関係について述べる。

1.妊娠・授乳期におけるカルシウム所要量

 カルシウム所要量はカルシウム代謝に関する出納試験や栄養調査の結果に基づき、成人1人1日当たりのカルシウム所要量(厚生省が定める国民1人当たりの目標値)を平均して600mgとしている。妊婦のカルシウム所要量は、非妊娠時の母体の要求量と胎児の発育、授乳期に向かってのカルシウム蓄積などが考慮さている。妊娠・授乳期におけるカルシウム所要量は妊娠期は900mg/日、授乳期は1,100mg/日なる。

1)妊娠期

 新生児の体内カルシウム蓄積量は28gとなり、これが妊娠5カ月以降の180日間に蓄積されると考えられ、胎児へのカルシウム蓄積量は1日当たり160mgとなる。これに母体のカルシウム尿中排泄量(120mg/日)と経皮的損失(20mg/日)を加えると、300mg/日と推定される。妊娠中にはカルシウムの腸管での吸収率が高まり、吸収率を40%(非妊娠時は30%)とするとカルシウム必要量は750mg/日となる。さらに安全率20%を加えて、900mg/日と算定されている。

2)授乳期

 1日の哺乳量は850ml/日、乳汁中のカルシウム量を0.27mg/mlとすると、哺乳に要するカルシウム量は230mg/日となる。これに尿中排泄量(120mg/日)と経皮的損失(20mg/日)を加え、吸収率を加味すると、摂取必要量は920mg/日となる。安全率20%を加えて、1,100mg/日と算定されている。

 以上のように妊娠・授乳期における目安としてのカルシウム必要量は示されているが、各個人によりカルシウム吸収率は大差がある。例えば、カルシウム源となる食品群とほかの栄養摂取量とのバランス、各人のホルモン分泌動態、運動量等によってカルシウム吸収率は異なっていることが知られている。したがって、カルシウム吸収率の高い食品群から積極的にカルシウムを摂取する努力をし、しかも栄養バランスを考えた食事、適度な運動、日照射が、より効率のよいカルシウム吸収を促進する。

2.妊娠・授乳期におけるカルシウム摂取量の現状

 厚生省により毎年全国レベルで栄養調査が行われている。これによるとカルシウムだけが栄養所要量を満たしていない唯一の栄養素ということになる。充足率は所要量に対して88%で、国民1人当たり12%のカルシウム不足となる。各個人の摂取量の分布をみると、所要量の20%以上不足している者の割合は全体で4割程度を占める。この傾向は最近15年変わっていない。このように日本人にとって、カルシウムは非常に充足しがたい栄養素といえる。
妊産婦、授乳婦の所要量はさらに0.9g,1.1g/日と高いので、この所要量を充足することの困難さが予測される。

妊婦45名の3日間の食事内容より、食品分析を行ったところ蛋白質、脂肪、ビタミンは所要量を満たしていたが、カルシウムと鉄(Fe)が所要量を満たしていなかった。母親教室でカロリーの過剰摂取、カルシウム、鉄の不足を指導していたにもかかわらず、カルシウムは一般成人の所要量600mgを満たしていない者が全体の30%、妊婦の所要量900mg/日を満たしていない者は91%で、満たしているのは9%にすぎなかった。

 カルシウム摂取量の多い食品は乳製品からの割合が高い。このことより乳製品(牛乳、ヨーグルト、チーズ)が好きでなければ、食事からカルシウムを十分摂取するのが困難であると考えられる。授乳期になってもこの傾向は変わらず、授乳時のカルシウム摂取量は妊娠時より摂取量が減少していた。
このように妊娠時に栄養調査とともにカルシウム不足を指摘され、授乳時には蛋白質の摂取量が増加しているにもかかわらず、妊娠時に比べカルシウム摂取量が少なかった(図1)。

【図1】妊娠とカルシウム摂取(*1)

 産褥期になると母親の栄養が児に影響を及ぼさないと考え、食事に注意を払わなくなっているようだ。カルシウムを多く摂るためには一層の教育と食品の工夫が必要であることを示している。

3.妊娠・授乳期のカルシウム代謝

 妊娠初期における母体血中カルシウム濃度は9.6mg/dlで、非妊娠時と変わらない。しかし、妊娠初期、中期、後期とカルシウム濃度は徐々に低下し、分娩時には5〜6%低下する。産褥6週目には非妊娠時のレベルに戻る。
一方、胎児の血中カルシウム濃度は妊娠中期で5.5mg/dl、その後徐々に増加し妊娠後期で11mg/dlとなる。また、臍帯静脈血のカルシウム濃度は臍帯動脈血濃度より高いことから、カルシウムは胎盤を介して母体から胎児へ能動輸送されている。また、妊娠時の腸管でのカルシウム吸収率は非妊娠時より約2倍増加し、これには妊娠時のホルモンが関与している(*2,3)。

4.カルシウム調節ホルモンの動態

 カルシウム代謝に関与している主たるホルモンとしては、血中カルシウム濃度の上昇を促進する副甲状腺ホルモン(PTH)、カルシウム低下作用のあるカルシトニン(CT)があげられる。PTHは妊娠末期には、非妊娠時の50〜100%増加し、妊娠後半期は続発性副甲状腺機能亢進の状態にあると考えられる(*4)。
これらのホルモンにより母体側の血中カルシウム動員が胎児へ行われている。母体のCTは非妊娠時と変わらない。臍帯血のCTは母体血より高値であることから、胎児がCTを大量に分泌しているようである。すなわち、胎児の高CTは母体血中カルシウムを胎盤を通過させ、胎児骨へのカルシウム沈着に関与している。

 活性型ビタミンDは腸管でのカルシウム吸収促進、骨代謝促進、胎盤でのカルシウム輸送に関与する。活性型VDの血中濃度は、妊娠週数に従って増加し、妊娠末期には非妊娠時の2〜4倍に増加する(*5)。活性型VDを産生する1α-水酸化酵素が、妊娠週数とともに増加するプロラクチン、エストロゲン、、胎盤性ラクトーゲンにより増加するからである。なお1α-水酸化酵素は胎盤にも存在することが知られている。以上のように、妊娠時により、プロラクチン、エストロゲン等が血中VDの濃度を上昇させ、カルシウム骨代謝を促進している。

5.子  癇

 妊娠中毒症は純粋型妊娠中毒症(妊娠偶発合併症の存在がなく、高血圧、蛋白尿、浮腫の症状を呈する)と混合型妊娠中毒症(妊娠前より高血圧、尿蛋白、浮腫を呈する疾患が存在し、妊娠により症状が悪化した場合)、子癇に分類される。
子癇は純粋型、混合型にかかわらず、妊娠中毒症によって起こった痙攣発作をいい、発作の起こった時期により、妊娠子癇、分娩子癇、産褥子癇と称される。
妊娠中毒症の原因は明らかではないが、妊娠によるホルモン、自律神経、代謝の変化に適応できなく、発症するものと考えられる。症状は高血圧、尿蛋白、浮腫であるが、高血圧の症状が最も重要である。国際的には toxemia (妊娠中毒症)より pregnancy induced hypertensive disorder と称されることが多い。

 子癇前症は、子癇の前駆症状である。一般に高血圧、尿蛋白、浮腫が高度であり、頭痛、眩暈、眼華閃発、視力障害、吐き気、嘔吐、上腹部痛、発熱などの症状を呈する。子癇は1,000〜2,000分娩に1件といわれている。妊娠中毒症の早期発見、治療により減少してきている。子癇が発症する前に子癇前症がみられないこともある。子癇はまず意識が消失し、強直性あるいは間代性痙攣がみられる。痙攣がおさまった後に昏睡がしばらく続く。また脳、肝臓内の出血がよくみられる。治療としては精神安定剤、マグネゾールの投与や帝王切開が施されるが、予後は母児ともに非常に危険である。

 疫学研究からカルシウム摂取量と妊娠高血圧症とは負の相関がある(*7)。

 グアテマラの妊産婦は栄養状態が悪いにもかかわらず、子癇前症、子癇症発症頻度が低い(表1)(*8)。

 エジプトでも同様の事が報告されている。

【表1】各国でのカルシウム摂取量と子癇発症頻度(*8)
国 名1日1人当たりの
カルシウム摂取量(mg)
子癇発症頻度(%)
コロンビア2401.59
タ イ2063.7-6.0
ジャマイカ3452.5
インド34712.0
日 本368高頻度
イスラエル8840.7
英 国10000.9
エチオピア10750.9
米 国11000.5
ガテマラ11000.4

【図2】妊娠中のカルシウム投与と血圧)(*9)

 妊娠と血圧との関係は、妊娠時のカルシウム投与と妊娠高血圧についての二重盲検法による調査が行われた。

 これによると、妊婦20週より分娩時まで1日2gのカルシウムを服用した妊婦は高血圧発症頻度が少なかった(図2)(*9)。

 子癇前症の妊婦では尿中カルシウム排泄が低下している。
1,194人の妊婦がランダムに、プラシーボと1日2gのカルシウム投与群とに分けられた。
カルシウム投与群はプラシーボ群に比べて妊娠高血圧、子癇前症の発症頻度が少なかった(図3)(*10)。

 カルシウム投与は尿中カルシウム排泄が少ない群により効果的であった。

【図3】高血圧症、子癇前症出現の割合(*10)。

6.カルシウムの作用機構

【図4】妊娠T期において後に子癇前症を発症した群は正常群に比べてアルギニン・バゾフレッシンにより刺激を受けた血小板内カルシウムは高い(*11)

 妊娠中のカルシウム作用機構は、カルシウム摂取が不十分であれば妊娠中に上昇していたPTHは上昇し、その結果として細胞内Ca2+が増加し、アンギオテンシンUに対する血管壁平滑筋の感受性を高め、あるいはアルギニンによる細胞内カルシウム濃度が正常群に比べて、子癇前症では高くなるために血圧が高くなると考えられる。(図4)。

 抗カルシウム剤やマグネシウムも細胞内カルシウムを減少させ、血圧を低下させる。

 しかし、注意すべきことは2g/日のカルシウム投与により尿中カルシウム量も上昇し、腎結石の合併症頻度が増加する。その頻度は1,500妊婦につき1人である。

まとめ

 妊娠・授乳期にカルシウム吸収率は高くなり、十分なカルシウム摂取ができれば、妊娠時の骨量減少、高血圧、子癇前症の予防、さらには最大骨量を高め、骨粗鬆症の予防にもなる。しかし、日本人のカルシウム摂取は世界的にみてもかなり低く、最近10年間のカルシウム摂取量はほぼ横ばい状態で、厚生省の定めた栄養所要量に達したことのない唯一の栄養素である。妊娠・授乳期のカルシウム所要量は多いので、カルシウムを多く含む食品を摂る工夫が必要である。

文  献
(*1)廣田憲二:妊娠とカルシウム . JJPEN 16:867-871,1994
(*2)Pikin RM : Calcium metabolism in pregnancy and perinatal period. Am J Obster Gynecol 151:99-105,1985
(*3)Heaney RP et al. : Calcium metabolism in normal human pregnancy. J Clin Endocr Metab 33:661,1971
(*4)Drake TS, Kalpan RA et al. : The physiologic hyperparathyroidism of pregnancy, Obstet. Gynecol 53:746,1979
(*5)Steichen JJ : Vitamin D homeostasis in the perinatal period : 1-25 dihydroxy vitamin D in the matemal cord and neonatal blood. N Eng J Med 302:315,1980
(*6)中井祐一郎、今西基晴ほか:妊娠中毒症、周産期医学 26:188-190,1996
(*7)Villiar, J, Belizan LM et al. : Epidemiologic observation on the relationship between calcium intake and eclampsia. Int J Gynaecol Obster 21:271-278,1983
(*8)Belizan JM, Villar J : The relationship between calcium intake and edema-, and hypertension-gestosis: an hypothesis. Am J Clin Nutri 33:2202-2210,1980
(*9)Belizan JM : Preliminary evidence of the thpothesis: effect of calcium supementation on the blood pressure in normal pregnant women. Am J Obster Gynecol 146-152,1983
(*10)Belizar J, Pepke et al. : Calciumsuplementation reduces blood pressure during pregnancy : results of randomized controled cliical trial. Obster Gynecol 70:317,1987
(*11)Zemel MB, Zemel PC et al. : Altered platelet calcium metabolism as early predictor of increased peripheral vasula resistence and preeclampsia in urban black women. N Engl J Med 323:434-438,1990