牛乳の碑
農林大臣 河野一郎



 安政5年(1858年)2月米国総領事タウンゼントハリスは、政務多忙を極め病床にありました。侍女お吉は、ハリスが牛乳を欲するのを知り、禁を犯して下田近在から、和牛の乳を集めハリスに毎日与えたということです。その時ハリスが15日間飲んだ9合8勺の牛乳の代価が1両3分88文之は、米3俵分に相当したといいますから当時牛乳が如何に高価で貴重なものであったかが分かります。

 このことが日本における牛乳売買の初めといわれます。爾来百余年牛乳は現在重要な国民栄養食糧として年生産一千余万石に達し酪農事業は重要な国策となりました。 乳業の発達は国富の充実と共に前途益々津々たるものがあります。

 タウンゼントハリスは
1804年米国ニューヨーク州に生まれ
1856年来日し
1862年帰国その間初代米国総領事として日米親交の基礎を築く
1879年2月75才で没した

 伊豆は当社創業の地であり且つ下田に工場をもつゆかりの地でありますので下田と牛乳とを記念して

1962年5月17日
森永乳業株式会社
取締役社長 大野勇建之