戦後の日本の牛乳文化

戦後の日本における生活価値観の変化のなかで、
牛乳文化がたどってきた道のりを検証してみましょう。
 

 第二次大戦で日本人の『衣食住』はいずれも壊滅的な打撃をうけました。
そのなかで最初に充足されたのは『衣』です。もちろん『食』も最低レベルで確保されてはいましたが、洋裁ブームがおきて洋裁学校がつぎつぎと設立されたことをみてもわかるように、『衣』は『食』をうわまわるペースで合理化がすすみ、充足されていきました。
__少なくとも、『食』をひとつの文化として語れるようになるのは、1950年代に入ってからです。いうまでもなく、それ以前はとにかく食べるのに精一杯という時代でした。  

 たとえば1947年に公開された黒澤明・監督の【素晴らしき日曜日】という映画には、月収600円の男性が2つで10円もする饅頭を弁償するシーンがあります。また、終戦直後の闇市ではリンゴが現在の貨幣価値でいえば5000円くらいの値段で売られていました。いずれにしても、貧しい庶民が『食文化』を享受できるような状態ではなかったのです。  

 しかし一方では、終戦の年、1945年にブリキのおもちゃが10万台も売れ、その翌年にはベートーベンの【田園】とシューベールとの【未完成】のレコードが爆発的なヒット商品となっています。
__『衣食たりて礼節を知る』という言葉がありますが、当時の日本人は『食』が足りないにもかかわらず、文化にも目をむけて暮らしていたわけです。

1950年代

 1950年代にはいると、『食』の洋風化がはじまります。
__アメリカの脱脂粉乳が入って来たのも、この頃です。1952年には、その場で詮を開けて飲む【牛乳スタンド】ができています。その前年にはキャラメルも登場し、牛乳をペースにした食品も普及しはじめました。1954年には学校給食法が制定され、学校給食によって牛乳が普及するようになりました。テトラパックが登場するのは、1956年のことです。  

 テレビ、洗濯機、冷蔵庫が『三種の神器』としてクローズアップされるようになった1955年頃には、同時にアメリカ的生活様式へのあこがれが頭をもたげてきます。

 たとえば小津安二郎・監督の【麦秋】という映画には、こんなシーンがありました。
__原 節子が演じる20代後半の女性が、子もちの中年男性と結婚する。それを以外に思った彼女の女友達が、こう言うのです。「あなたが結婚するとしたら、田園調布に家があって、白いスピッツがいて、白いテラスに立って『ハロー』というような男の人だと思ってた。白い電気冷蔵庫があって、開けるとコーラがずらっと並んでいるような家にお嫁にいくと思ってたのに」  おそらくこの女友達の頭の中には、朝食にはトーストを食べながら牛乳を飲む、ていうイメージもあったのでしょう。  

1960年代

 1960年代の高度成長期に入ると、『大きいことはいいことだ』という価値観が支配的になります。
__ちなみに『巨人・大鵬。玉子焼き』という言葉が登場したのは1961年のことでした。当時の化学調味料のコマーシャルをみると、その価値観が『食』にも及んでいることがよくわかります。
__象やイルカなどの動物がつぎつぎと現れてバクバクとエサを食べ、最後に人間のこどもが登場して化学調味料を大量にかけたご飯を同じようにバクバクと食べるのです。  『たくさん食べることは素晴らしい』という時代でした。
__同じ時期のドラマでは、刑事が張り込みをしながらコーヒー牛乳とあんパンをほおばるシーンがあります。いまならハンバーガーでしょうが、当時はそれが屋外で簡単に食事をすませるときの典型的なパターンだったのです。  

 1960年代は、合理化と欧米化がさらにすすんだ時代でもありました。
__1964年には、紙パック入りの牛乳が店頭に並び、また同じ年、『カギっ子』という言葉が生まれ、外に出て働く女性が増えたことを示しています。一般の家庭に電気冷蔵庫や自動炊飯器が飛躍的に普及したのもこの頃です。それらの家電製品が、女性の社会進出を後押ししたのです。  

 やはり小津安二郎・監督の作品である【秋刀魚の味】(1962年)には、冷蔵庫が普及していくプロセスが描かれていました。
__これから冷蔵庫を買おうと思っている主婦が隣の家にトマトを借りに行く。すると隣の奥さんが「トマト、冷えてるわよ」と、それとなく自分の家に冷蔵庫があることを自慢する。そこで主婦が「うちも買うのよ」と言うと、「はやく買うと損ね。どんどん安いのが出るから」と、今度は自分が先に買った事を誇示する。こうして家電製品は一般家庭に普及していきました。  

 1960年代に食生活が充実していったことは、1965年頃から肥満児増えはじめ、1969年に文部省がはじめて肥満児調査を実施たことからも読みとることができます。一方、たとえばホテルのレストランのように庶民には手のとどかない『食』もありました。  

 加山雄三・主演の【お嫁においで】(1966年)という映画では、ホテルのウエイトレスとして働いている女性が「このホテルには、私たちの一ヶ月分の給料を一回の食事で使ってしまう人たちが来る。こんなの許せないわ。革命が必要ね」とうシーンがあります。  

 1967年にはエンゲル係数が35%を割り、少なくとも『食べるのに精一杯』の時代が終わったことは確かですが、ホテルの従業員がホテルで食事することができない、という状況も残っていたのです。  

1970年代

 日本人の『食』が本当の意味で充足の段階に入るのは、1970年代だと言えます。
__1970年代は、ファーストフードの上陸(1971年)、コンビニエンス・ストアの登場(1974年)、宅配便のスタート(1976年)など、サービス産業の合理化と現代化がすすんだ時代でした。
__『食』の部分では、外食が増え、冷凍食品が普及しています。電子レンジの普及によって、冷凍食品が使いやすくなったのです。また、流通の合理化がすすんだこともあって、1976年には長くもつことが売りのロングライフミルク(LL牛乳)が登場しました。  

 『食』の充足ぶりは総理府の調査結果にも現れています。『これからの生活の力点はなにか』という質問に、『食生活』と回答する人の数が1974年をピークに、それ以降は減っているのです。ヘルシー志向の自然食レストランが1973年にできたことや、1977年に【週間ポスト】で『男の料理』という連載がはじまり、料理が趣味のひとつとして扱われるようになったことも、この時期に日本人が食生活にゆとりをもちはじめたことを物語っています。エンゲル係数が30%を割ったのは、1979年のことです。  

 1970年代は、日本人の価値意識に大きな変化が訪れた時代でもありました。
__1973年の第一次オイルショックの3年後(1976年)、『物の豊かさと心の豊かさのどちらが大事ですか』という質問の回答で、はじめて『物の豊かさ』を『心の豊かさ』が上回ったのです。それから数年は再び『物』が巻き返すこともありましたが、第二次オイルショックが起きた1979年以降は、今日に至るまで一貫して『心』が勝っています。  

1980年代

 1980年代は、生活のなかに『健康志向』と『遊び志向』が併存した時代でした。
__健康面で象徴的なのは、農林水産省や厚生省が日本型食生活の再評価を提言したことです。健康のためには弥生期以降の食文化を大切にすべきだという訳ですが、その主張をまとめた【日本型食生活の提言】に牛乳がメニューとして加えられているのは興味深いことです。日本固有の食文化に牛乳を加えれば健康食として完璧になる、ということです。  

 多様なミネラルウオーターの登場や玄米食ブームなども、こうした『健康志向』の流れに沿ったものでしょう。有機農産物の宅配が急増したのも、1980年代後半のことです。  

 一方、『遊び志向』を象徴するものとしては、ベストセラーになった田中康夫・著の【なんとなく、クリスタル】(1981年)や、東京ディズニーランドのオープン(1983年)などが挙げられます。『今後の生活の力点』で『レジャー・余暇生活』という回答がトップに躍り出たのも、1983年のことです。  

 そういう『遊び』の要素は、食生活にも求められるようになります。とても健康に良いとは思えない激辛ブームや、【美味しんぼ】という漫画に代表されるグルメブーム等は、その現れでしょう。  

1990年代

 1990年代に入ると、より安い食品を求める価格志向が強くなりました。
__1990年代に入ると、バブル崩壊の影響で、食生活における『遊び』の要素が少なくなり、外食ブームが停滞しはじめるようになり、より安い食品を求める価格志向が強くなり、牛肉やオレンジの輸入自由化もそれに拍車をかけました。  

 一方、『健康志向』は更に高まっていると言えるでしょう。
__特に1989年頃から【骨粗しょう症】が注目されるようになったこともあって、1990年代は『骨の健康』に対する関心が高まっています。  

 『今後の生活の力点』で『レジャー・余暇生活』が1位になる前、
__1982年までは『住生活』が長くトップを続けていました。その優先順位が相対的に低下したのは、決して『住生活』が充足されたからではなく、ある種の『あきらめ』が作用した結果でしょう。本心を言えばもっと通勤に便利で広い家が欲しいのだが、自助努力だけではいかんともしがたい。そこで『住生活』は現状にあまんじることにして、『遊び』の方へ傾斜していったのです。  

 もともと日本人は、『住』を後まわしにする傾向が強く、戦後の復興期をみても。『衣』や『食』の充足が優先され、『住』は遅れています。これは、例えばドイツと全く対照的です。ドイツの場合は、まず『住』から戦後の復興に取り組んでいます。
__勿論、その背景には、日本よりはるかに寒いという気候的な事情もあるでしょう。しかし、オペラ座の復興が速やかに行われたこと等は、気候の問題だけでは片づけられません。

 壊滅したミュンヘンの復興にあたって、ミュンヘン市民はアメリカから配給されたジャガイモを売り、そのお金でオペラ座の再建に必要なレンガを寄付したのです。これが日本なら、間違いなくジャガイモを食べることを選んだでしょう。『食』を削ってでもオペラ座再建を優先させる姿勢は、文化的な違いとしか言いようがありません。  

 現在の東南アジアの経済発展でも、戦後の日本と同じ傾向がみられます。気候が良い性もあって、『住』は後まわしにされているのです。住まいは無くても、まずは『食』や『衣』を充足させることを優先し、それが充たされると、次はテレビやラジカセのような家電製品を購入する。しかし、エアコンはなくてもかまわない。これはまさにアジア的な消費スタイルと言うことができます。  

 消費者ひとりひとが、『食』に対してそれぞれ『こだわり』をもっています。
__生活の『幅(選択肢の多さ)』と『深さ(こだわり)』について調べた【ライフボリューム調査】(博報堂生活総合研究所)によれば、いま日本では衣食住のなかで『食』が最高のライフボリュームを占めています。例えば牛乳やチーズにしても、選択肢は極めて豊富になり、また、消費者ひとりひとが、『食』に対してそれぞれ『こだわり』をもっています。  

 食生活の『幅』と『深さ』をひろげることができるのは、『衣』や『住』に比べて『食』の単価が安いためでしょう。極端な話をすれば、日本一のお金持ちが毎日食べている食品を、庶民でも一生のうちに何回かは食べられます。最高級の家や洋服を買えない人でも、最高級のキャビアを買うことはそれほど難しいことではありません。  

 一端衰えた消費欲は、やや上向きになっています。
__【生活定点調査】(博報堂生活総合研究所)によれば、バブル崩壊後に一端衰えた消費欲は、1996年頃からやや上向きになっています。ディスカウント・ストアの利用が一般化した一方で、『やや値段が高くても、普及品より良い物が欲しい』という人も増えているのです。
__但し、 『お金』に対する価値観はバブル期を境に大きく変わってきました。例えばバブル最盛期は、収入の多さが人物評価の高さに直結する傾向がありましたが、今はそういう考え方が無くなりつつあります。不況の影響で『お金が欲しい』という人は増えているものの、これは現実の生活を支えるために必要だとの考えからであって、バブル期のような拝金主義は影をひそめています。  

 若年層ほどお金に対する選好が高いようにみえますが、これも彼らが拝金主義に陥っていることを意味しているのではありません。むしろ『団魂ジュニア』と呼ばれる20代前半の層にはリアリストが多く『お金が無ければ始まらない』ことを極めてドライに受け止めています。また、バブル期の拝金主義に対する嫌悪感も抱いていて、お金と同時にメンタルなものを大事にする傾向も強いようです。  

  『家族』に対する価値観には微妙な揺らぎが生じています。
__何から何まで家族揃って行動するのは避けたいがバラバラになるのも困る。そこで、『半分だけ家族』が丁度いい、という感覚がでてきました。  

 例えば夜7時の【NHKニュース】を、家族全員が茶の間に勢揃いして見る、という生活は望んでいません。それぞれ好き勝手に行動したいわけです。小学生でさえ塾通いで帰宅が遅く、母親も仕事をもっているとなると、茶の間に勢揃いしようと思っても現実的に不可能です。そのため、家族が別々に食事する『個食化』がすすんでいます。全員が揃って同じ物を食べなければ家族ではない、とは考えません。  

 しかし、好き勝手に行動したい反面、家庭の中で全く孤立するのも寂しい。外で自分が体験したことを語る相手として、家族の存在は大切なもの。だから、半分は自分、半分は家族という発想になります。  

 自分の『個』を大切にしながらも、 家族と自分を両立させていく。
__この傾向は日本に限ったものではなく、おそらく世界に共通したものでしょう。  

 例えばフランス料理の世界では、1970年代後半から1980年代にかけて、従来のフランス料理に特有のソースをあまり使わず、低カロリーの料理が作られるようになりました。これは当時の『健康志向』を反映したものでしょう。そして1980年代後半から1990年代に入ってくると、それま゛絶対に出さなかったブタの頭を使った料理を出す一流レストランが登場しています。これは素朴な田舎料理を原型にした料理で、こうしたものが好まれるのは『家族志向』の反映に違いありません。伝統的な家族の温かさを求める気持ちが、料理のスタイルにも現れています。  

 また、スペインでは、日曜日の昼はレストランが家族連れでいっぱいだといいます。奥さんの料理を作る手間を省いて、レストランで家族の交流を深めているわけなのです。日本でも週末になるとスーパーで高級な牛肉がよく売れる傾向があります。週末は父親も子どもも家で一緒に食事をする少ない機会だから、ちょっと贅沢をして、すき焼きでも作ろう、ということでしょう。つまり、週末だけは家族の団らんが残っているのです。  

 温かい家族のにおいを感じさせる食品【牛乳】
__こうした『家族志向』と、1980年代後半から続いている 『健康志向』が重なるところにある食品の代表が、牛乳でしょう。牛乳は健康食品であると同時に、温かい家族のにおいを感じさせる食品でもあります。そういう意味では、『個』の飲み物であった牛乳が、『家族』の飲み物としてクローズアップされる可能性はあります。

 但し日本の場合は、ほとんどの人が朝食時に牛乳を飲むが、今の朝食は典型的な『個食』だから、母親が全員のコップに牛乳を注いでまわるシーンは少ない。欧米では朝食だけでなく夜も牛乳を飲みます。そういうナイト・ミルクの習慣が日本にも出来れば、牛乳が家族団らんの飲み物として普及することになるでしょう。  

 夜に牛乳を飲むと精神が安定して、よく眠れるようになると言われていますし、睡眠中は体内に成長ホルモンが出来るためカルシウムの吸収率も高く、健康面でも、ナイト・ミルクは極めて有効なのではないでしょうか。  

 『家族』や『健康』についで重視されているのが、友人との交際です。
__狭いながらも住むところが在り、便利な家電製品も揃って、『食』も満ち足りているとなると、やはり最後には心の空漠感を埋めてくれる仲間が欲しくなります。勿論、そこには家族も含まれますが、ある程度の距離を置いて付き合える友人の存在は、現代人にとって極めて重要です。  

 友人を大切にする傾向は10代のうちに始まり、彼らはポケットベルで緊密に連絡をとりあっています。更に高校生や大学生になると、携帯電話が友人づきあいを支えています。

 専業主婦も、家庭の電話で仲間と連絡をとりあっています。電話の使用状況を調査すると、午前9時から10時の間に使用量のピークがあります。家族を会社や学校に送り出した後、主婦が洗濯機を回しながら友人と長話をしているのです。  

 【牛乳】が社交の場に入り込む
__いずれにしても友人や仲間との付き合いが大切にされている訳ですが、牛乳は基本的に『個』の飲み物なので、こうした社交の場に入り込んで需要を伸ばす事は極めて難しい。
__友達と喫茶店に入ってミルクを注文する人は、極めて少数派でしょう。喫茶店のメニューには必ずホットミルクやアイスミルクが載っているものの、これは嗜好品として成立し難いものです、やはり社交の場で主に飲まれるのは、コーヒーや紅茶です。  

 但し最近は、カフェオーレやミルクティーなど、コーヒーや紅茶をミルクでわった飲み物が、特に女性を中心に飲まれています。牛乳が社交の場に入り込むとすれば、そういう形しかないでしょう。  

 只、戦後の生活価値観の変化に伴って、徐々に牛乳が日本人に広く受け入れられるように成っていることは間違いありません。その背景には、牛乳文化が肉食文化から発生したものであるにもかかわらず、一方で農耕文化との相性の良さを持っているという事情があるのではないでしょうか。  

 戦後の貧しさの中で、牛乳が栄養になるということで、広く受け入れられて来ました。農耕文化の【米】と牧畜文化による【牛乳】が上手に併存し、共栄して来たのです。
__『体に大切な牛乳』という位置づけは、やがて2000年代の成熟社会の中で、 『骨に欠かせない牛乳』へと転じていくでしょう。加えて、肌やメンタルな効果への関心も高まって来ました。まさに【牛乳】は、戦後史の中を生き抜いて現代に至っています。


出典
『白のある風景』(社)全国牛乳普及協会”戦後の生活価値観の変化”:(執筆者)関沢英彦
{生活アナリスト。博報堂生活総合研究所常務取締役所長}