カルシウムと大腸癌
大年辰幸:仁真会白鷺病院
福島昭治:大阪市立大学医学部第一病理学教室
森井浩世:大阪市立大学医学部第二内科学教室
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はじめに
カルシウムは人体を構成する多数の元素のうちの一つで、発癌過程における癌予防物質としての可能性をもっている。カルシウムは、細胞増殖、分化に深く関わっており、発癌物質による細胞増殖作用はカルシウム摂取を増やすことで抑制される。その細胞増殖抑制作用に加えて、発癌プロモーターのもつ細胞傷害作用の滅弱が抑制作用の主な機序として考えられている。また、カルシウム代謝に重要な役割を果たすビタミンD3発癌抑制物質として、最近注目を浴びている。
ヒトの癌発生には10年以上の歳月を必要とするといわれ、その間、個体はさまざまな修飾をうけるので、癌発生過程のすべてを追跡することは不可能である。そこで、ラット、マウスなどの実験動物を用いた化学発癌モデルにおいて、癌発生過程の機序の一端を解明しようとする努力がなされてきた。 、実験動物に発癌物質を投与した化学発癌の過程はイニシエーションとプロモーション・プログレッションという多段階発癌によると考えられている。イニシエーションとは、発癌物質により細胞のDNAが損傷し、その結果、変異細胞が発生するという不可逆的な過程のことである。プロモーション・プログレッションとは、その変異細胞から前癌性病変が発生し、さらに癌が発生、増殖する過程で、この過程を制御するプロモーターの作用は可逆性であると解釈されている。
疫学研究より推測される微量元素を含めた食餌性の発癌促進因子および発癌抑制因子の存在を仮説として、主にラット、マウスを用いた化学発癌モデルを用いて、それらの検出を目的とした多くの研究が行われてきた。 、さらに、その結果から、食品中の発癌予防物質としての効果が期待される栄養素あるいは化学成分が検出され、欧米においては発癌予防の臨床試験も開始されている。なかでも、細胞内より血漿濃度の高い細胞外ミネラルとして存在するカルシウムは、大腸癌ならびに胃癌の発生予防物質である可能性が強く示唆されている。そこで本章では、カルシウムの発癌における影響について述べ、さらカルシウム代謝に関係するビタミンD3の発癌に及ぼす影響についても記述する。
1.カルシウムと発癌
1)大腸癌
大腸癌の発生は北米、欧州に多く、日本を含むアジア諸国においては少ないとされてきた。しかし、わが国において、その発生は近年増加の一途をたどり、今後21世紀には、現在減少しつつある胃癌を抜いて最も多い癌の一つになると予測されている。
疫学的調査により、カルシウムの摂取量の多い地域には大腸癌が少なく、摂取量の少ない地域には大腸癌が多いことがわかっている。カルシウムのみに原因を求められるものではないだろうが、同じ欧州でもカルシウムの摂取量の多いルーマニアでは大腸癌による死亡率が少ない。 、大腸癌の発生には、疫学的、実験的に高脂肪食および低繊維食という食習慣が重要と推測されてきた。高脂肪食によって、糞便中に増加する胆汁酸、脂肪酸が大腸癌発癌のプロモーターであることが動物実験で証明されている。 、さらに興味ある事実は実験的に胆汁酸、高脂肪食による発癌プロモーション作用はカルシウム添加により抑制されることである。その抑制機序として次の事項が考えられている。 、カルシウムイオンの存在下でリン酸イオンと胆汁酸が不溶性のリン酸カルシウム−胆汁酸結合物として沈殿する。またカルシウムイオンは、遊離型の胆汁酸には結合しないが、遊離脂肪酸とは結合し、カルシウムイオン−脂肪酸−胆汁酸がキレート結合を起こし沈殿するともいわれている。 、つまり、これらのプロモーターはカルシウムと結合し、不溶性のカルシウム塩を形成し、糞便中に排泄される。このためプロモーターと大腸粘膜の直接接触が妨げられることが発癌抑制につながると説明されている。
一般に大腸の正常腺窩では、DNA合成期細胞を5−ブロモー2’−デオキシウリジンで標識すると、標識細胞帯は正常で腺窩の底部1/2に限局しているが、過増殖腺窩では腺窩の底部から上部および表層部まで拡大する(*1)。 、カルシウム含有食( 0.5〜1.0% )を投与されたラットの大腸粘膜では、腺窩上皮の増殖が抑制されることが明らかにされている。一方、胆汁酸や脂肪酸は大腸粘膜を傷害し、細胞増殖を促進させ、腺窩の標識細胞帯を拡大させる。カルシウムは、この作用を阻害することが動物実験で知られている。 、ヒトにおいても大腸粘膜の細胞増殖の変化を検討する短期試験が多数行われ、大腸癌切除後症例および腺腫切除後症例にカルシウム剤( 1〜2g/日 )を投与すると、粘膜の細胞増殖動態が正常化したことが示されている。また大腸癌の高リスク家系の大腸粘膜において、カルシウム配合剤がその細胞増殖を抑制したことも報告されている。死因の上位を占める大腸癌にカルシウム摂取が重要な影響を有することが明らかであるが、どの程度の量が最適であるかの結論は得られていない(*2)。
2)胃 癌
動物モデルでは胃癌に関してもカルシウムの発癌抑制作用が証明されている(*3)。ただし、胃癌の深達度、組織型に明らかな違いは認められていない。 、発癌物質処理後、それぞれカルシウム含有量(0.5%)とカルシウム欠乏食(0.01%)で飼育されたラットの前庭部の胃粘膜の細胞増殖について検討がなされた。カルシウム欠乏食ではカルシウム含有食に比較して、細胞増殖能は有意に亢進しており、胃癌の発生率も高く、対照群の4倍であった。 、その理由の一つとしてカルシウム欠乏食を投与されたラットは、カルシウム含有食を投与されたラットと比較して、前庭部ノルエビネフリン含有量が有意に増加していたことより、交感神経系の緊張亢進が胃発癌を促進したと考えられた。また、塩化カルシウムもラット胃発癌を抑制すると報告されている。その機序としては、胃粘膜上皮のオルニチン脱炭酸酵素活性の抑制が重要と考えられている。
2.ビタミンD3と発癌
活性型ビタミンDである、1,25−dihydroxyvitaminD3は、腸からのカルシウム吸収増強や副甲状腺ホルモン分泌という古典的作用に加え、 in vitro ではさまざまな癌細胞に対し、細胞増殖抑制および分化誘導作用をもつ。したがって、 in vivo では活性型ビタミンDが腫瘍の進展や増殖にどのような阻止作用をもたらすかが、興味をもたれ、これまで種々の方向から研究されてきた。 、最近、ヒトの骨髄性白血病細胞や乳癌細胞および動物の骨髄性単球性白血病細胞に対してビタミンDより強度の細胞増殖抑制および分化誘導作用をもつ22−oxa−calcitriol(OCT)か開発された。そこでわれわれは一つの実験系で比較的短期間に多臓器における発癌修飾作用を知ることができる多臓器発癌モデル(*4)を用いて、OCTの発癌修飾作用を検討した(*5)。この実験では、5種類の発癌物質を開始直後から4週まで投与し、6週目よりOCTを腹腔内投与した(図1)。
【図1】ラット多重癌モデルにおけるOCTの修飾作用の検索
第1段階処置( DMBDD ) |
↓, | DEN100mg/kg体重,腹腔内投与; |
▽, | MNU20mg/kg体重,腹腔内投与; |
■, | BBN0.05%飲料水; |
▼, | DMH40mg/kg体重,腹腔内投与; |
■, | DHPN0.1%飲料水; |
S, | 屠殺 |
第2段階処置(披験物質, OCT ) |
■, |
1&4群;OCT30μg/kg体重,腹腔内投与 |
| 2群;OCT3μg/kg体重,腹腔内投与 |
| 3群;溶媒,腹腔内投与 |
| 週6回 |
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30週目に屠殺したところOCT30μg/kg投与群の小腸癌の発生率は対照群と比較して有意に減少し、大腸癌の発生率は減少傾向であった(表1)。
【表1】多重癌モデルでのラットの小腸と大腸における癌の発生 |
群 | DMBDD 処置 |
用量 (μg/kg) | ラット 数 |
小腸癌 | 大腸癌 |
発生率(%) | 個数/匹 | 発生率(%) | 個数/匹 |
1 | + | 30 | 25 |
0* | 0* |
3(12) | 0.12±0.33* |
2 | + | 3 |
25 | 3(12) | 0.12±0.33 | 7(28) | 0.36±0.64 |
3 | + | - | 22 |
4(18) | 0.18±0.39 | 8(36) | 0.45±0.67 |
4 | + | 30 |
10 | 0 | 0 | 0 | 0 |
*p<0.05(第3群と比較) |
またラット1匹当たりの大腸癌と小腸癌の平均担癌数は対照群と比較して、有意に減少していた。大腸粘膜上皮における過増殖腺窩は、腺窩の変形および腺窩口の拡張像( aberrant crypf foci:ACF:実験的に前癌病変の指標として用いられている)として光学顕微鏡下で観察することができる。 、次に大腸癌だけに標的を絞り、発癌物質である1,2−dimethylhydrazine(DMH)の処置前、同時および後におけるOCTの発癌修飾作用を大腸小前癌病変であるACFをマーカーとして検討したところ、OCT投与群のいずれにおいても、ACFの平均総発生数は有意に減少しており、特にOCT後投与群において大きなACFの有意な減少が認められた。 、このようにビタミンDの合成誘導体であるOCTの大腸での発癌抑制作用が示された。この機序の一端を把握するためノーザンブロット法にて癌遺伝子であるc-myc の発現を検討したところ、OCTはDMHによるc-myc の発現を抑制することが判明した。1,25−dihydroxyvitaminD3でもc-myc の発現抑制という同様な報告がなされている。
おわりに
大腸癌および胃癌の発生と抑制には、環境中の因子、特に食習慣が重要と考えられている。抑制因子の検索には、カルシウムのほか、食品中の成分が検討されてきた。カルシウムは食品中に存在し、大腸癌および胃癌の発癌予防に重要な役割を果たしすと考えられる。最近は、OCTのように食品中に本来含まれない合成化学物質の発癌抑制作用も検討されており、それらのヒト発癌予防効果が期待される。
参考文献
(*1) | Roncucci L et al. Cell kinetic evaluation of human colonic aberrant crypts. Cancer Res 53:3726-3729,1993 |
(*2) | 森井浩世:長寿とカルシウム摂取, Clinical Calcium 6:735-738,1996 |
(*3) | Tatsuta M et al. : Enhancing effects of calcium-deficient diet on gastric carcinogenesis by N-methyl-N'-nitro-N-nitrosoguanidine in Wistar rats. Jpn J Cancer Res 84:945-950,1993 |
(*4) | Fukushima S et al. : Modifying effects of various chemicals on preneoplastic and neoplastic lesion development in a wide-spectrum organ carcinogenesis model using F344 rats. Jpn J Cancer Res 82:784-792,1991 |
(*5) | Otoshi T et al. : Inhibition of intestinal tumor development in rat multi-organ carcinogenesis and aberrant crypt foci in rat colon carcinogenesis by 22-oxa-calcitriol, a synthetic analogue of 1a,25-dihydroxyvitamin D3. Carcinogenesis 16:2091-2098,1995 |
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