4.骨粗鬆症遺伝子が教えてくれるもの

 いずれにせよ、 Morrison が投じた一石は、極めて多くの示唆をわれわれに与えてくれる。

 第一に、低カルシウム環境に弱く、骨密度が低い体質は、おそらく大昔から長い年月を経てある人種に蓄積してきた可能性がある。

 第二に、たとえ不利な遺伝体質をもち合わせていても、予防処置(運動や高カルシウム食)により、このような体質は克服可能であること。

 第三に、ある種の遺伝子を調査することにより、ある個人がどのくらいのリスクで骨粗鬆症に罹患するかが、生まれながらにして予想できるかもしれないこと。

 第四に、もしそうであるのならば、ある不利な体質をもって誕生してきた子どもには、誕生した瞬間から予防的措置、またはリスクを回避するライフスタイルをあらかじめ教育することが可能性として考慮されなければいけないこと。

 現在までに判明した上記の事実が、今後の医療にどのような変革をなしうるかを考察する前に、現在の医療が抱える問題点を考えてみたい。

5.現代医療の構造的問題

従来の医療は表1に示すような枠組みでなされてきた。

【表1】医療の階層
名称内容
第一層予防医学疫病予防・成人病予防・検診
第二層早期医療発病前治療・合併症阻止
第三層救命医療・治療医療救命・合併症治療
第四層リハビリテーション社会復帰
第五層ターミナルケアホスピスなど

 このうちで、第一の階層である予防医学は確かに疫病の予防には大きな足跡を残してきたといえる。しかしながら、この分野が成人病の予防に大きな貢献をしたか、といわれれば、それには疑問を呈さざるを得ない。現在、この分野が行っていることは、予防のための啓蒙教育と健康診断による早期発見である。
しかしながら、多くの健康講座に参加してみると、そこでは糖分制限、塩分制限、カルシウム摂取の奨励といった、お題目的教育がなされているにかぎない。ここでは個人の体質による差異は無視されている。また、このような健康教育がどれほどの効果を実質的にあげているかの検証は極めて不足しているといわざるを得ない。健康診断はすでにシステム化され、患者の発見と病院への紹介という、つなぎ的役割に終始しているにすぎない。

 一方、第二、第三の階層にあっては、確かに、疾患の診断技術や延命技術は格段に進歩している。しかし、この場における構造的欠陥は高コストである。現代の高度医療は人々の生命を守るためであれば、極めて多額の費用を覚悟しなければならない技術である。
このため、昭和30年代にそのパラダイムが決定された健康保険制度はいまや制度疲労を起こしており、生命を守るという美名のもと、最大限の医療を施すことへの抑制がかかりつつある。したがって、保険の支払側も受取側(医療サイド)も、ともに大きな不満を抱えつつ医療を行わなければならないという矛盾を抱えている。生命が何物にも代えがたいという建前を声高に述べても、返ってくるのは保険の査定という有様も現実に存在するのである。

6.環境感受性遺伝子の発見と今後の医療

  Morrison らがはじめて骨粗鬆症の分野で環境感受性遺伝子を発見したことの意義は、このような現代医療の構造的欠陥をみるにつけ極めて意義深いものであると感じられる。なぜならば、もしもある患者の疾患の危険因子となりうる遺伝子のセットがすべて解明できれば、このセットをすべて同一人で行うことにより、その人が将来、どのようなライフスタイルを獲得すればよいかが、極めて具体的な形で指導しうることになる。
このような予防教育はすぐれて個別的であり、かつ、お題目的健康教育からはほど遠いものである。さらに個々の遺伝子の役割が完全に解明されていれば、その指導は極めて実効的であることが予想される。
もしもある個人がBBであるのならば、その人はカルシウム摂取を恒常的に増加させればよいと考えられる。そのような手段で、もしもその人の骨粗鬆症の発生を10〜15年遅らせることができれば、この費用効率は極めて高いといえよう。なぜならば、遺伝子検査は一生に一度行えばよいものであり、二度と繰り返す必要はない。また、カルシウムは食事から摂ればよいのであり、なんら薬品を必要とはしなないからである。食事の費用と薬品の費用を天秤にかければ、その差は明らかであり、またもしも疾患の発病が遅れれば、その間の病院費用は軽減されるのである。
もちろん、生命に直接的脅威を及ぼす可能性のある疾患については手厚い医療が必要である事態は変わらないであろうが、人々の日常生活の質を低下させるのみで生命に対する脅威がない疾患まで病院での医療を行うことは今後、極力抑制しなければならないと考える。そのことこそが、国民保険制度を存続させうる道であると思う。このことを達成するためには、確実で実効性がある疾患の予防対策が必須の前提となるのであり、その手段として、環境感受性遺伝子検索は極めて強力な手段となりうるものと予想される。